ちょっと待ってね

数年前から鉢割れ猫を飼っています。
飼うことに決めたのは夫と息子です。

この猫が、遊ぶのはママ(私)と決めているのか、
遊びたくなると猫じゃらしをくわえて私のところに来て
遊べ遊べ(にゃーにゃー)と訴えてきます。

忙しい時は本当に困ってしまうのですが、
それ以上に罪悪感を引き起こされるのが辛くてたまりません。

「ちょっと待ってね」

猫に向かってそう言うのですが、実はこの言葉、
かつて幼かった息子によく言っていた言葉なのです。

当時の私は仕事最優先で、息子に背を向け、常にパソコンを見ていました。
(Web制作や講義の資料作成を自宅の仕事部屋でしていた。)

ちょっと待ってね、の言葉から1時間以上が経過することもしばしばで、
息子には本当にかわいそうなことをしました。

こうして文字を打っている今も、罪悪感がとめどなく溢れてきます。

この罪悪感のせいでしょうか。息子や夫が帰宅すると、
「あなたたちがもっとたくさん遊んであげていれば…」などと
不満をぶつけてしまいます。完全に八つ当たりですね…。

この罪悪感をなくすには、できることをするしかない。
息子に美味しいもの用意して、猫とは遊ぶ。それしか思いつきません。

今も、部屋の外から、がさごそと音が聞こえてくるので
猫じゃらしを持ってくるつもりかもしれません。

チクッ。胸が痛みます。
気が済むまで、遊んであげようと思います。

変化を感じる時

以前なら許せないと感じたであろうできごとが目の前で起こっても、
心のなかに日だまりのような暖かさ感じる。

私がアンガーマネジメントをやっていて
本当に良かったと感じるのは、そんな時です。

以前は、たとえば子どもがジュースをこぼしたりした時など、
ダメじゃないの。何をやっているの。
そんな言葉を感情のまま、子どもにぶつけていました。

それがアンガーマネジメントを始めてからは
「いいよいいよ。大丈夫だよ」と言いながら子どもと一緒に原状復帰。
床を拭いたりコップを片付けたり。それが自然にできるようになりました。

できるようになったのは、ダメな自分を許せるようになってからです。
アンガーマネジメントを始めて3年目頃でしょうか。

あの人が許せない。あの一言が許せない。

アンガーマネジメントに取り組んでいても
私の「許せない」は相変わらず多く、
私は、そんな自分をいつも情けないと責めていました。

でも、ある日、ふと思ったのです。

できなくて当たり前だよね。だって私は未熟な人間だもの。
できていないけど、それだって以前に比べたらずっと良い。
成長してるじゃない。

そう思った時、心の中の「自分を叱り続ける巨大な鬼教師」が
すうっと小さなコビトになったように感じました。

それから、です。自分に対しても他人に対しても、
「まぁ、そういうこともあるよね」「仕方ないよ」
「いいよいいよ」「大丈夫大丈夫」
そう思えることが増えていきました。

使う言葉が変わると表情も変わるのでしょうか。
家族の表情が、ある時からリラックスした感じ、穏やかになったのは。
まるで強風や雷雨の日々から穏やかな春の日々になったような、
そんな変化を感じました。

心の中に暖かな日だまりを感じる時。
アンガーマネジメントをやっていて良かったなと思うのは、そんな時です。

別れを受け入れて生きていく

今月9日は、母の命日でした。2年になります。

今でも、母に電話をかけそうになります。
綺麗な花を見た時。少し冷える朝。楽しいことがあった時。

そうして母の不在に気づき、
小さな子どものようにその場にしゃがみ込んで
大声を上げて泣きたくなることもあります。

悲しみが癒えることはないのかもしれません。
不在に慣れることも。

きっとこれからも、たくさんの別れを経験することでしょう。
私は今、別れも人生の一部だということを
受け入れて生きていくための準備をしているのかもしれません。

新緑が眩しい季節、真夏の太陽がきらめく季節を終えて、
私は今、冬に向けて、心静かに紅葉を眺める時期なのだなと、
今日はそんなことを感じています。

意見がないのではなく

大変恥ずかしい話ですが、思い切って書きます。

息子は温和な性格です。
私の実母がとても穏やかな人だったので、おそらく隔世遺伝なのだと思います。
しかし、その温和さが、私にとっては苛立ちの1つでした。
覇気がない!と思っていたのです。

息子が小学5年生の時です。
片付けができていないとか何か、そんなことだったと思います。
いつものように厳しい言葉で息子を責め立てた後、私はこう言いました。

「どうして何も言い返さないの?ここまで言われて悔しくないの?」

すると息子は、静かにこう言い返しました。

「どうせ何を言ったって、ママは、最後は自分が勝たないと気が済まないんでしょ。
だから何を言っても無駄なんだ」

よく漫画で見る「がーーーん」という状態になりました。

確かに、何か言うことはないのかと聞いておきながら、
私の頭の中は戦闘用意、論破する前提で息子の言葉を待っていました。
息子は、それを見抜いていたのです。

「昔からそうだよ」

10歳の子どもが言う「昔」とは、物心ついた頃からでしょうか。
この人には何を言っても無駄なのだと、
幼い頃から息子は私に対してそう思っていたのか。
一気に力が抜けて、しゅんとした気持ちになりました。

「本当にそうだね。ママ、自分が勝たないと気が済まないよね。
よく考えたら、そんなに散らかってるわけでもないのにね。
ママ、何でこんなに怒ったんだろう。ごめんね。」

自分もソファーに座り、気づいたらそんなふうに言っていました。

この頃、まだ私はアンガーマネジメントを始めて1年目。
今、自分が息子にしていること、これまで息子にしてきたこと、
また自分自身についてもまったく理解ができておらず、
この後も、私は息子の心を傷つけ続けることになります。

今では、私にも夫にも臆せず自分の意見をはっきり言う息子。
言わないのは、意見を持っていないからではないことを、
私のこの日、初めて知ったのです。

アンガーマネジメントを初めて伝えた日

アンガーマネジメントを初めて伝えたのは、
アンガーマネジメントファシリテーター養成講座を受講して2ヶ月後のこと。
勤務先のパソコンスクールでアンガーマネジメント入門講座を告知したところ、
15名の方がお申し込みくださいました。

当時はまだアンガーマネジメントという言葉を知る人はおらず、
「何だか分からないけど、おもしろそうだから受けてみる」と
パソコンの講座だと思って申し込まれた方もいらっしゃいました。

果たして時間内に終わるのか。受講者の反応はどうか。
開始前は様々な不安がありましたが、いざ始まると、
うなづき、へぇの声、笑い声もあり、思いのほか楽しい講座となりました。
実際、アンケートでも「楽しく学べた」の声が多かったのですが、
果たしてそれで良かったのか、しばらく思い悩みました。

しかしこの時、何より印象に残ったのは「時間」です。
時間ぴったり、90分ちょうどで終わったのです。
終わった瞬間、「このスライドはすごい!」と叫びそうになりました。
どのスライドもポイントが明確で無駄がなく伝えやすいのです。
しかも90分ちょうどで終わるボリューム。質問があっても調整可能。変幻自在です。
すごい(素晴らしいではなく凄い)コンテンツだ、と思いました。

あれから6年。
私は今もアンガーマネジメントをお伝えしています。

この6年、様々な怒りに触れ、受講者様と共に怒りを味わい、
その奥にあるものを共に見つめてきました。
それは、深く、豊かで、幸せになるためのヒントに溢れていました。

初めて登壇した日は、まだわかっていませんでした。
私はあの日、怒りから幸せを見つける、ということを始めていたのです。

後悔

先週、二人暮らしの伯父と伯母に宅配の鰻を手配しました。

伯母は美味しいものが大好きです。
伯母が喜んでくれたら嬉しいな、と思いました。

でもそれ以上に、伯父にゆっくりしてほしい気持ちがありました。
伯父は今、数年前に腰を痛めた伯母に代わり、家事を一手に引き受けています。
その伯父が、会うたび疲れが増しているように見えて、
もしや家事と伯母のサポートを頑張り過ぎているのではないかと案じていました。

たまにはゆっくり店屋物でも。手配は、そんな気持ちからでした。

でも、後でわかりました。
美味しいと喜ぶ伯母を見ると、伯父は寂しさを感じてしまうのだそうです。
美味しいものを食べると、伯母は自分が作った料理を美味しそうに食べてくれない。
それが、とても寂しいんだ、と。

とても後悔しました。
伯父がそんな気持ちになっていたなんて。まったく思い至りませんでした。
伯父の寂しさを思うと…言葉もありません。
ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

伯母は、亡くなった母のすぐ上の姉で、
面差しが母にとてもよく似ています。二人とも美味しいものが大好き。
伯母の喜ぶ顔を見ていると、母が喜んでいるように思えて、
私は、もしかすると自分の満足のために宅配を手配したのかもしれません。
だから、伯父の気持ちまで考えられなかったのかもしれません。

善意の押し付け。そんな言葉が脳裏をよぎります。

押し寄せる後悔を受け止めながら、今日この1日を過ごしています。

大人の叱り方を試す

今朝、玄関を掃除していてふと思い出しました。
おそらく、使っていた箒がきっかけです。

小学6年生の3月。
謝恩会を控え、全員で体育館を掃除していた時です。
私はモップで壇上を掃除していました。

と、そこへ教頭先生がいらっしゃいました。
教頭先生とは一度も言葉を交わしたことはありません。

ふと好奇心を掻き立てられ、
私は教頭先生の目をじっと見ながら、こう言いました。

「演台の上も、モップで拭いちゃおうかな」

良いわけがありません。でも、試しにそう言ってみました。
教頭先生、なんて言うかしら。

教頭先生が、私をじっと見返しました。
やや、あってから静かに、

「おまえは雑巾で顔を拭くのか?それと同じだぞ」

そうおっしゃいました。

とても恥ずかしく思いました。
親に申し訳ないような気持ちにもなりました。
自分はなんて浅はかな人間なんだろう、とも思いました。

私は小さく会釈して、またモップで床を拭き始めました。
教頭先生は他の生徒のところに歩いて行かれました。

こたえました。胸にずしん、と響きました。
そして、さすがだな、と思いました。(生意気ですが)

大人を試す行為は、その時が最初で最後です。

あの時、教頭先生があの叱り方をしてくださらなかったら、
あの後も私は、大人たちを心の中で見くびり続けていたかもしれません。

反抗期のあの時期、上手に叱る大人に出会えたことは、とても幸運でした。

プレイロール

子は、親の怒り方をコピーする。

と、よく言いますが、私の怒り方は父に似ています。
日頃は穏やかなのですが、一度怒ると非常に強く怒ります。
おそらく父も、私と同じ、白黒思考、何事も極端なのでしょう。

母は、日頃から気持ちやリクエストを上手に伝えられる人でした。
朗らかで、大らかで、優しくて。でも、線引きは明確。
その性格は、私ではなく、私の息子に引き継がれたようです。
隔世遺伝、ですね、きっと。

アンガーマネジメントのテクニックに、プレイロール、があります。
理想の人物になりきって演じる、というもので、
演じ続けることで自分のなりたい性格に近づいていくことができる、
と言われています。

私のこれまでの理想の人物は、サッカーの三浦知良選手でした。
でも、昨日ふと、母を真似てみよう、と思いました。

母だったら、こんな時どうするだろう、何て言うだろう。
そう考えながら言葉を発し、行動してみよう。
そうしたら、母のような怒り方ができるのではないかしら。

もうすぐ夕飯の時間。でも息子はまだ帰ってきていません。
文化祭の準備なのか何なのか、このところ生徒会の活動にすっかり夢中で毎日帰りが遅いのです。
遅い。遅すぎる。という気持ちを母ならどう伝えるか。
取り組んでみたいと思います。

小さなこだわりが消える音

息子がポテトチップスを箸で食べるのが気になって
見かけるたびに言っていました。

「やめなさい。おかしいわよ」

ポテトチップスは指でつまんで食べるもの。
今までずっとそうだったし、周りの人もそうやっている。
だから、それが普通。当たり前。そう思っていました。
しかし、試しに箸でポテトチップスを食べてみたら…。

最高です。

手は汚れないし、つまみやすいし、口に入れやすいし。
箸を使わない理由がもはや分からないレベル。

ポテトチップスを食べる時は「箸を使うべきでない」は、
ポテトチップスを食べる時に「箸を使っても良い」になりました。

私の「べき」が、また1つ消えました。ぷしゅっ。

ありきたりな、でも大切な1日

今日は、誕生日でした。

朝、仏壇の母にありがとうを伝えて、
あとはいつも通りに過ごしました。

夫と息子をエレベーター前まで見送り、
玄関を掃いて、掃除機をかけて、洗い物をして、
録画した大河ドラマを見ながら洗濯物を干して。
今日は良いお天気で、洗濯物がよく乾きました。
嬉しかった。

玄関には、昨日、夫が買ってくれたオレンジの花。
冷蔵庫にも夫が買ってくれたチーズスフレ。
…ありがとう。

ランチのあとは、いつものようにパソコンにかぶりつきで仕事。
やっぱり仕事は楽しいなあ。時間を忘れちゃう。

夕方には買い物に行き、帰ってすぐお夕飯作り。
今夜は、夫と息子が大好きなハンバーグ。
そして、息子と夫をお出迎え。

ありきたりの1日。ごく普通の1日。

でも、いつか、今日の日を懐かしく思う日が来るのでしょう。

そして、今日がとても幸せだったことを思い、
暖かい涙をこぼすことでしょう。