悲しい気持ちの時は

ウクライナ情勢に胸が痛みます。
憤りがある時はまだ良かった。今は無力感に苛まれ、ただ悲しい。
募金も署名もしたけれど何も変わらない。他に何ができるのだろう。

最近は気づくと気持ちが塞ぎ、ふと泣いてしまうこともあります。
同じような方、いらっしゃるのではないでしょうか。

ウクライナの方たちのためにできることを探しながら、
自分の心も守らなくてはいけませんね。

空を見たり、花を植えたり。
そういえば母は、悲しいことがあると花を植えていました。
悲しみが笑顔になるように。

仕事に集中して、身体を動かして。
家事も元気にこなして、日常をつつがなく過ごす。

つらかったらテレビをつけなくても良いと思います。
自分の心が負けてしまいそうだったら、逃げて良いと思います。
現実から目を逸らすことに罪悪感を覚えなくても良いと思います。

いつもそばに

明け方、亡き母の夢を見ました。

大きな駅の改札を抜けると、そこに母が立っていました。
(母は亡くなっている。これは夢だ。)
そう思いながら、母の元に急ぎました。
母はとても綺麗でした。微笑んでいました。
「お母さん、とっても綺麗。」
母にそう言うと、少しずつ自分が目覚めていくのを感じました。
(ああ、まだ夢の中にいたいのに。起きたくないのに。)
やがて、もう目覚めてしまうという時、母の声が聞こえました。

「お母さんはいつもみーちゃんのそばにいるよ」

そこで、はっきりと目が覚めました。
私は勢いよく起き上がると、冷たい水で顔を洗い、さっと着替えました。

2021年は今日で終わり。明日から新しい年が始まります。
良い年にしよう。家族や友人や仲間と笑い合える一年にしよう。
そう思いました。

クリスマスの夜に

怒りは、知らぬうちに矛先を変えてしまうことがあります。八つ当たりです。向かう先は、自分の身近にいる、自分よりも弱い者。怒りは、高いところから低いところへと流れる性質があるのです。

先日、上司から部下へのパワーハラスメントを目撃しました。それがパワハラだと、加害者も被害者も気づいていないように感じられました。

クリスマスの夜でした。華やかな街を歩きながら、上司が部下に投げつけていた人格を否定する言葉を思い出していました。あの上司も、かつて自分が部下だった時に、同じ言葉を当時の上司から投げつけられたのかもしれません。

アンガーマネジメントを伝え続けなくては、と思いました。

小さな芽

こんなところから芽が。

このところ悲しいニュースが続いていました。
何の落ち度もない人々が理不尽に命を奪われたり、
才能のある若い人が自ら人生に終止符を打ったり。

気持ちが沈んで、うつむいて歩いていた時でした。
ふと、この小さな命が目に入りました。

そこにいる。生きている。

沈んでばかりいてはいけない。そう思いました。

ちょっと待ってね

数年前から鉢割れ猫を飼っています。
飼うことに決めたのは夫と息子です。

この猫が、遊ぶのはママ(私)と決めているのか、
遊びたくなると猫じゃらしをくわえて私のところに来て
遊べ遊べ(にゃーにゃー)と訴えてきます。

忙しい時は本当に困ってしまうのですが、
それ以上に罪悪感を引き起こされるのが辛くてたまりません。

「ちょっと待ってね」

猫に向かってそう言うのですが、実はこの言葉、
かつて幼かった息子によく言っていた言葉なのです。

当時の私は仕事最優先で、息子に背を向け、常にパソコンを見ていました。
(Web制作や講義の資料作成を自宅の仕事部屋でしていた。)

ちょっと待ってね、の言葉から1時間以上が経過することもしばしばで、
息子には本当にかわいそうなことをしました。

こうして文字を打っている今も、罪悪感がとめどなく溢れてきます。

この罪悪感のせいでしょうか。息子や夫が帰宅すると、
「あなたたちがもっとたくさん遊んであげていれば…」などと
不満をぶつけてしまいます。完全に八つ当たりですね…。

この罪悪感をなくすには、できることをするしかない。
息子に美味しいもの用意して、猫とは遊ぶ。それしか思いつきません。

今も、部屋の外から、がさごそと音が聞こえてくるので
猫じゃらしを持ってくるつもりかもしれません。

チクッ。胸が痛みます。
気が済むまで、遊んであげようと思います。

変化を感じる時

以前なら許せないと感じたであろうできごとが目の前で起こっても、
心のなかに日だまりのような暖かさ感じる。

私がアンガーマネジメントをやっていて
本当に良かったと感じるのは、そんな時です。

以前は、たとえば子どもがジュースをこぼしたりした時など、
ダメじゃないの。何をやっているの。
そんな言葉を感情のまま、子どもにぶつけていました。

それがアンガーマネジメントを始めてからは
「いいよいいよ。大丈夫だよ」と言いながら子どもと一緒に原状復帰。
床を拭いたりコップを片付けたり。それが自然にできるようになりました。

できるようになったのは、ダメな自分を許せるようになってからです。
アンガーマネジメントを始めて3年目頃でしょうか。

あの人が許せない。あの一言が許せない。

アンガーマネジメントに取り組んでいても
私の「許せない」は相変わらず多く、
私は、そんな自分をいつも情けないと責めていました。

でも、ある日、ふと思ったのです。

できなくて当たり前だよね。だって私は未熟な人間だもの。
できていないけど、それだって以前に比べたらずっと良い。
成長してるじゃない。

そう思った時、心の中の「自分を叱り続ける巨大な鬼教師」が
すうっと小さなコビトになったように感じました。

それから、です。自分に対しても他人に対しても、
「まぁ、そういうこともあるよね」「仕方ないよ」
「いいよいいよ」「大丈夫大丈夫」
そう思えることが増えていきました。

使う言葉が変わると表情も変わるのでしょうか。
家族の表情が、ある時からリラックスした感じ、穏やかになったのは。
まるで強風や雷雨の日々から穏やかな春の日々になったような、
そんな変化を感じました。

心の中に暖かな日だまりを感じる時。
アンガーマネジメントをやっていて良かったなと思うのは、そんな時です。

別れを受け入れて生きていく

今月9日は、母の命日でした。2年になります。

今でも、母に電話をかけそうになります。
綺麗な花を見た時。少し冷える朝。楽しいことがあった時。

そうして母の不在に気づき、
小さな子どものようにその場にしゃがみ込んで
大声を上げて泣きたくなることもあります。

悲しみが癒えることはないのかもしれません。
不在に慣れることも。

きっとこれからも、たくさんの別れを経験することでしょう。
私は今、別れも人生の一部だということを
受け入れて生きていくための準備をしているのかもしれません。

新緑が眩しい季節、真夏の太陽がきらめく季節を終えて、
私は今、冬に向けて、心静かに紅葉を眺める時期なのだなと、
今日はそんなことを感じています。

怒りが再燃した時は

何度もぶり返すしつこい怒りへの対症療法です。

アンガーマネジメントで怒りを整理しても、
また怒りが再燃してしまうことがあります。

「なぜ」「どうして」「理解できない」

相手を責める言葉が後から後から湧いてくる。
すると何をしていてもどこか上の空で、
そのままつまらないミスをしてしまったりして。

アンガーマネジメントを知る前の私は、
その苦しさに耐えかねて、相手に自分の気持ちをぶつけてしまっていました。
自分の思いと相手の真意を問う長い長いメールの文章を作り上げ、
へとへとになりながら送信する、ということもありました。
なんと不毛なことをしていたのかと思います。

アンガーマネジメントを学んだ今は、
頭の中から怒りを追い出す努力をしています。
他のことに意識を向ける、頭の中に怒り以外のものを入れるのです。
生まれながらにアンガーマネジメントができている人は、
それをごく自然に、特に苦も無くやっていると思うのですが、
怒りんぼうの私には努力が必要です。

私が今、取り組んでいるのは「歌う」です。
歌っている間は歌詞で頭がいっぱいになるので、
怒りを思い出す余地はありません。
しかも、大きな声で歌うと発散できてスッキリ!するという効果も。

大きな声で歌える環境にない時は、
「自分を実況中継する」をしています。たとえば…
「私は今、一心不乱にキーボードを叩いております。
おーっと削除した!文字を削除しましたー!」など。
これも大量の言葉が頭を埋め尽くすので、怒りを追い出すことができます。

夜寝る前に怒りが再燃し、眠れなくなりそうな時は、
メディテーション(瞑想)をするようにしています。
呼吸に集中していると雑念が取り払われ、
気づくと眠っているので大変重宝しています。

今もまだ様々な方法を試行錯誤中ですが、
ひとまず今は、歌、実況中継、瞑想、が私の必勝パターンです。

決して、怒りそのものが消えるわけではありません。
できごとを思い出せば、やはり怒りは感じます。
それでも、実践すれば少し気持ちが楽になります。

思い出し怒りでつらい時は、ぜひ一度、試してみてください。

意見がないのではなく

大変恥ずかしい話ですが、思い切って書きます。

息子は温和な性格です。
私の実母がとても穏やかな人だったので、おそらく隔世遺伝なのだと思います。
しかし、その温和さが、私にとっては苛立ちの1つでした。
覇気がない!と思っていたのです。

息子が小学5年生の時です。
片付けができていないとか何か、そんなことだったと思います。
いつものように厳しい言葉で息子を責め立てた後、私はこう言いました。

「どうして何も言い返さないの?ここまで言われて悔しくないの?」

すると息子は、静かにこう言い返しました。

「どうせ何を言ったって、ママは、最後は自分が勝たないと気が済まないんでしょ。
だから何を言っても無駄なんだ」

よく漫画で見る「がーーーん」という状態になりました。

確かに、何か言うことはないのかと聞いておきながら、
私の頭の中は戦闘用意、論破する前提で息子の言葉を待っていました。
息子は、それを見抜いていたのです。

「昔からそうだよ」

10歳の子どもが言う「昔」とは、物心ついた頃からでしょうか。
この人には何を言っても無駄なのだと、
幼い頃から息子は私に対してそう思っていたのか。
一気に力が抜けて、しゅんとした気持ちになりました。

「本当にそうだね。ママ、自分が勝たないと気が済まないよね。
よく考えたら、そんなに散らかってるわけでもないのにね。
ママ、何でこんなに怒ったんだろう。ごめんね。」

自分もソファーに座り、気づいたらそんなふうに言っていました。

この頃、まだ私はアンガーマネジメントを始めて1年目。
今、自分が息子にしていること、これまで息子にしてきたこと、
また自分自身についてもまったく理解ができておらず、
この後も、私は息子の心を傷つけ続けることになります。

今では、私にも夫にも臆せず自分の意見をはっきり言う息子。
言わないのは、意見を持っていないからではないことを、
私のこの日、初めて知ったのです。

アンガーマネジメントを初めて伝えた日

アンガーマネジメントを初めて伝えたのは、
アンガーマネジメントファシリテーター養成講座を受講して2ヶ月後のこと。
勤務先のパソコンスクールでアンガーマネジメント入門講座を告知したところ、
15名の方がお申し込みくださいました。

当時はまだアンガーマネジメントという言葉を知る人はおらず、
「何だか分からないけど、おもしろそうだから受けてみる」と
パソコンの講座だと思って申し込まれた方もいらっしゃいました。

果たして時間内に終わるのか。受講者の反応はどうか。
開始前は様々な不安がありましたが、いざ始まると、
うなづき、へぇの声、笑い声もあり、思いのほか楽しい講座となりました。
実際、アンケートでも「楽しく学べた」の声が多かったのですが、
果たしてそれで良かったのか、しばらく思い悩みました。

しかしこの時、何より印象に残ったのは「時間」です。
時間ぴったり、90分ちょうどで終わったのです。
終わった瞬間、「このスライドはすごい!」と叫びそうになりました。
どのスライドもポイントが明確で無駄がなく伝えやすいのです。
しかも90分ちょうどで終わるボリューム。質問があっても調整可能。変幻自在です。
すごい(素晴らしいではなく凄い)コンテンツだ、と思いました。

あれから6年。
私は今もアンガーマネジメントをお伝えしています。

この6年、様々な怒りに触れ、受講者様と共に怒りを味わい、
その奥にあるものを共に見つめてきました。
それは、深く、豊かで、幸せになるためのヒントに溢れていました。

初めて登壇した日は、まだわかっていませんでした。
私はあの日、怒りから幸せを見つける、ということを始めていたのです。