母の日が悲しい、のあと

5月29日に「母の日が悲しい」という記事を投稿しました。
「母として妻として自信がないから、ご褒美が欲しくなるのだろう」と。

不思議なことに、その投稿以降、悲しい気持ちがすっかり消えてしまいました。本当に、あっけないほど。

自分の本当の気持ちと向き合い、それを言語化したことで、一種の浄化、カタルシスが生じたのかもしれません。

「母として妻として私は失格」
「こんな私に愛される資格はない」

そんな強い思い込みを抱えている自分がいることに、気づいたのです。

何をもって「失格」と、自分に不合格の烙印を押していたのか。
ひと通りのことはやっているのだから失格ではないはずです。

それに私は、夫と息子が寄せてくれる愛情を信じようとしなかった。
家族を信じずに、「自分は愛されていないのではないか」と疑い続けてしまった。
その不安、心に空いた穴を「ご褒美」で埋めようとしていたのです。

心に空いた穴は、私が自分の思い込みで勝手に開けた穴。
元々、穴などなかった。

今、ご褒美を切望する気持ちがないのは、穴がなくなったからかもしれません。
あれほどまで執着していたのに。

何年も抱え続けてきた、母の日の悲しい気持ち。
人に言えば、そんなことで?と一笑に付されてしまう。
だから、ずっと言えずにいました。

それが言えるようになってきた。そして、言語化できた。ブログにも投稿できた。
もしかすると、心の穴を作ったのは自分だと気づきつつあったのかもしれません。

イライラしない人の思考癖

今朝、息子を駅まで送っていった時のことです。

思っていた以上に道が混んでいて、思わず「間に合うかしら。間に合わないかもしれないわね。次の電車は何分?」と息子に尋ねると、ぼそっと「知らない」と。まるで焦りのないその様子についイラッとして「知らないって…(ムッ)」と言うと、「今、取れる行動なんて他にないでしょ」と。

確かに。ふっ、と肩の力が抜けました。

息子の考え方は、アンガーマネジメントでいう「行動のコントロール」です。変えられること、変えられないことの線引きをし、変えられないことについては怒りを手放し、その時に取れるベストの行動を選択する。

ややあって息子は、「歩くほうが速いな。降りるわ。ありがとう」そう言って車を降り、駅に向かって歩いて行きました。

息子にアンガーマネジメントを教えたことはありません。幼い頃から自然とアンガーマネジメント的な考え方をしていました。母親である私はこんなにも怒りっぽいのに。

教わらなくても歌が上手、足が速い、勉強ができる、そういう人がいるように、教わらなくてもアンガーマネジメントが自然にできる人もいるのでしょう。一方で、教わらなければ、ついイライラするような考え方をしてしまう人もいます。私のように。

幸いなことに、怒りのコントロールは、メソッドがあり、継続することで上達できます。こんな私でさえ、以前に比べたら考えられないほどイライラしなくなったのです。(今回の件も以前なら「間に合わなかった時のために次の電車の時間を調べておくものでしょ!何を考えているの!」と怒っていたでしょう。)

怒りのコントロールは、それが自然にできない人は努力が必要です。だから、ちょっと大変。でも、努力は必ず実ります。

母の日が悲しい

誕生日もクリスマスも特に何かしてほしいと思ったことはないのに、なぜか母の日だけは、「おかあさん、ありがとう」の一言がほしいと思ってしまいます。とても。とても。

でも、息子はスルー。夫も。お願いしたり、ちょっと拗ねてみたり、素直に気持ちを伝えてみたりもしましたが、やはりスルー。たかが母の日なのに、そのことに深く傷ついている自分がいます。恥ずかしいのですが、毎年毎年、これで泣いてしまっています。

父の日は、息子と一緒に夫に感謝の言葉を伝えて、好物の料理やケーキを用意しています。でも、それも夫や息子にしてみたらあまり意味のないことなのかもしれません。

どうして私はこんなにも「おかあさん、ありがとう」と言ってほしいのか。

考えて考えて、やっと気づきました。きっと、母親として、妻として自信がないから、自分をダメな母親、ダメな妻だと思っているから、「そんなことないよ」と自分を支えてくれる言葉が欲しいのでしょう。

私はとても幸せです。充分過ぎるほど。それなのに、泣いてすがりついて懇願したいほど、「おかあさん、いつもありがとう」の言葉がほしい。それがわかっていてカーネーション1本、ありがとうの一言すら拒否する夫と息子をひどいとさえ感じてしまう。

まだ、この気持ちの落ち着かせ方がわかりません。だから、保留にしています。このことは考えない。もし思い出してしまったら、なるべく楽しいことを考えます。来年の母の日は、自分が楽しめる予定を入れることにしました。いつも悲しい日になってしまう母の日を、楽しい日にするために。

そんな些細なことで何を大げさな、と思われるでしょうか。これは母の日に感謝してほしいという話ではないのです。自分の弱さについての話なのです。

ウェビナーのおしらせ

埼玉県職業能力開発センターの主催で、ウェビナーを開催することになりました。トライアル開催ということで無料です。もしご興味がありましたらご覧ください。

【講習名】メンタルヘルスセルフケア
【日程】6/23(木)
【時間】13:00-16:00
【定員】50人
【受講料】無料
【〆切】5/31(火) 17:00

詳細は下記サイトをご覧ください。
https://www.pref.saitama.lg.jp/b0810/ginou/online04001.html

始業時間ちょうどに会社に到着してはいけないの?

あるSNS(若い人が多そうなSNS)でこんな投稿を見かけました。

「入社2日目。遅刻してないのに。ピッタリくらいだったのに。怒られた」

これに対するレスで圧倒的に多かったのが
「さすがにピッタリは」
「うん、それは怒られる」
「逆になんでそれで怒られないと思ったのか」

時間についての意見では
「社会人は5~10分前行動が当たり前」
「バイトだけど10分前」
「私は30分前」
「せめて5分前」
「到着と始業は違う」
「9時に仕事に取りかかると考えよう」

怒ることへの意見としては
「遅刻ではないので怒られる理由にはならない」
「早めが良いと思うが、それを強要するのは間違っている」

こんな意見もありました
「ピッタリより早く来たほうが良いって意見が多くて驚き」
「就業規則にはないことは空気を読めってこと?」
「帰るのも10分前で良いのかしら?」

様々な意見があっておもしろかった。つい読み耽ってしまいました。

投稿をした方は「行くだけで疲れる」と結んでいました。そういえば私も、学生から社会人になった当初はしんどさを感じて、夜、友だちと電話でたくさん話したことを思い出しました。

投稿した方、これからどうするかしら。自然と早めの行動に変わり、やがてそれを当たり前と思うようになるのかな。それとも早めの行動を取りながらも違和感を抱き続けていくのか…。

数年後、この方が先輩になった時、ピッタリに来る新入社員にどう接するかは周りの人(先輩や上司)の接し方次第…かもしれないなあと思う5月2日の朝でした。

変えられないものを受け入れる勇気

先月、登壇させていただいたアサーション研修で思いがけないことが起こりました。

研修終了後、ご担当の方が閉会のご挨拶をされた際に、ご自身のことについて、少し深いお話をされたのです。

この研修は今年で4年目。ご担当の方とのお付き合いも4年になります。いつも丁寧にフォローしてくださる全てに行き届いたこの方にも、迷ったり悩んだりされることもあるのかと大変驚きました。そして、アサーションとアンガーマネジメントが役に立っているとお話をされた後(とても嬉しかった)ご自身が心の拠り所にされているという「ニーバーの祈り」を読み上げてくださいました。

私に与えてください。

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を。

変えることのできないものについて、
それを受け入れるだけの冷静さを。

そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを識別する知恵を。

※ラインホルド・ニーバー(1892–1971年):アメリカの神学者

 

確かに、私たちは、変えられないものを変えようと必死になることがあります。特に身近な人には、高い理想を求めるあまり(あるいは期待するあまり)変えられない事実から目を背けてしまうさえあります。頭ではわかっていても、そう思いたくない。それが、葛藤や自己矛盾を生むのです。

実はこの日、私も今まで誰にも打ち明けたことのなかった話をしました。まったく意図していなかったことで気恥ずかしさが残りましたが、講師も受講者もご担当の方も、この会場にいたすべての人がお互いに一人の人間として向き合えたことは得難い経験だったと思います。研修終了後は、ご担当の方といつものように事務的なお話をしながらも心の中でふんわりと柔らかな火が灯ったような気持ちでした。

お帰りになる受講者様の後ろ姿をお見送りしながら、それぞれの職場でアサーションされている様子、相手を気遣いながら自己主張もされている姿を想像しました。どうか、それが現実のものになりますように。

怒って良い。問題はその表現方法。

第94回アカデミー賞授賞式で、ウィル・スミスさんが、プレゼンターのクリス・ロックさんを平手打ちしました。

平手打ちをした理由は、妻の病気による外見を揶揄されたこと、と聞いています。であるなら、いきなり殴るのではなく、断固とした口調、一歩も引かない姿勢で、「妻はとても傷ついている。妻の病気や外見をジョークにしないでほしい」と抗議すれば良かったのではないかと思います。

今、話題の中心は「殴ったことの是非」になっています。ウィル・スミスさんが強く訴えたかったはずの「病気や外見をジョークにして良いのか」については、アメリカ国内ではほとんど話題になっていません。この状況は、ウィル・スミスさんの本意ではなかったはずです。

ふと、北京五輪スノーボードで理不尽な採点をされながら、その怒りを金メダルにつながる素晴らしい演技に昇華させた平野歩選手を思い出しました。

怒りは感じても良いのです。怒ることは悪いことではありません。感じた強い怒りをどう表現するか。問題は、表現方法なのです。

悲しい気持ちの時は

ウクライナ情勢に胸が痛みます。
憤りがある時はまだ良かった。今は無力感に苛まれ、ただ悲しい。
募金も署名もしたけれど何も変わらない。他に何ができるのだろう。

最近は気づくと気持ちが塞ぎ、ふと泣いてしまうこともあります。
同じような方、いらっしゃるのではないでしょうか。

ウクライナの方たちのためにできることを探しながら、
自分の心も守らなくてはいけませんね。

空を見たり、花を植えたり。
そういえば母は、悲しいことがあると花を植えていました。
悲しみが笑顔になるように。

仕事に集中して、身体を動かして。
家事も元気にこなして、日常をつつがなく過ごす。

つらかったらテレビをつけなくても良いと思います。
自分の心が負けてしまいそうだったら、逃げて良いと思います。
現実から目を逸らすことに罪悪感を覚えなくても良いと思います。

あえて消さない怒りの炎

何の落ち度もない人が理不尽に傷つけられる事件がまた起きました。
なぜこんなことが起きてしまうのか。強い憤りを覚えます。

人を傷つけたい。自分を傷つけたい。
そう思う心の奥には「怒り」があります。

アンガーマネジメントは、感情理解教育です。
自分の感情に気づき、上手に表現する方法を学ぶ機会があれば、
怒りを自分の成長につなげることもできます。

怒ることは悪いことではありません。
大切なことは、その怒りをどう表現するか。

自分勝手な理由で人の命を奪うべきでない。
自分の命も、人の命も大切にするべき。

私の中にある、強い怒りです。
この怒りが、私のアンガーマネジメントを伝える原動力です。

この怒りの炎は、消さずに灯し続けたい。
人が人に当たらない社会の実現に向けて。
私は今日も、アンガーマネジメントを伝えます。

2022年スタート

2022年 新しい年の始まりです。

昨日は雲で見えなかった富士山が
今日は雲一つない青空の中でよく映えています。

新年にかける思いは色々ありますが
やはり今はただ一つ。無病息災。
健やかな一年でありますように。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。