アンガーマネジメントの「6秒」は対症療法

アンガーマネジメントの「6秒ルール」は、対症療法です。

「ついカッとなって」など、取り返しのつかない最悪の事態を防ぐための応急措置です。応急措置ですから、怒りが消えるわけではありません。

この6秒を誤解されている方が多く、「6秒数えても怒りは消えない、アンガーマネジメントは役に立たない」と、即座に結論付ける方が多いことを、私はとても残念に思っています。

ついカッとなるのは動物的な反応ですから、そもそも制御できませんし、決して恥ずかしいことでもありません。

しかし私たち人間には、脳に「理性」を司る部位があります。この理性が働き始めるまで3~5秒かかるので、アンガーマネジメントでは「6秒待とう」と提案しているのです。

ついカッとなった勢いで、暴力、暴言、嫌な顔をする、嫌味を言う、聞こえよがしに溜め息をつく、大きな音を立てて物を置く、など人を威嚇する、傷つける行為をしてしまったことはないでしょうか。

それをすると、その場の空気が悪くなる、相手が萎縮する、人間関係が悪化する、適切なコミュニケーションが取れなくなり結果として職場の生産性が下がる、家庭内が殺伐とする、最悪の場合、パワハラ、モラハラ、体罰などで職を失う、虐待やDVで家族が傷つく、といったことも起こりえます。

その最悪の事態をまずは防ぎましょう。ついカッとなって、を防ぎましょう。これがアンガーマネジメントの6秒ルールなのです。

悲しかったのではなく

最近、食後の洗い物タイムが楽しくて仕方がありません。
実は、なんとなく夫に言ってみたのです。
「洗い物、手伝ってくれる?」と。
すると、拍子抜けするほどあっさり「うん」と。

考えてみたら、子どもを授かる前はいつもこうでした。
二人で洗い物をしながら、本当によくおしゃべりをしていました。

それが、息子が生まれた頃から夫は激務になり、私も忙しさは変わらず。
疲れた夫に家事は頼めない、そんな思いから「手伝って」が言えなくなり、
でも私だって忙しいのにという思いから、なんで私ばかりと、
不満を溜めに溜め続けていました。

…いえ、溜めていたのは、寂しさだったのかもしれません。

私はただただ、夫と一緒に何かをして、
夫の話す声や、笑い声を聴きたかったのです。

一緒に洗い物をするのは週末だけです。
平日はこれまで同様、家事はすべて私一人。
でも、その週末のひとときがあるだけで、私は充分。
平日の家事も、とても楽しく感じます。

以前、母の日が悲しい、という記事を投稿しました。
悲しかったのではなく、寂しかったのですね。
そのことに、私はようやく気づけたのですね。

アンガーマネジメントに出会うマエとアト

日本アンガーマネジメント協会が、冊子「アンガーマネジメント ビフォー・アフター」を公開しました。

掲載されているのは8名のAMFT(アンガーマネジメントファシリテーター/アンガーマネジメントの指導者)によるアンガーマネジメントに出会う前と後の変化です。私も、お声がけいただき、掲載していただきました。

◎冊子は、以下より入手できます。
日本アンガーマネジメント協会 資料請求
https://www.angermanagement.co.jp/document-request

とても読み応えがあります。「怒り」の豊かさを感じる8篇の物語です。

◎冊子から一部を抜き出しました
アンガーマネジメントに出会うマエとアト(南 美詠子)

この原稿を作成するにあたり、ゆいさん(奈田 由さん)には大変お世話になりました。ゆいさんのビフォー・アフターはこちらに掲載されています。ぜひご覧ください。

手帳チームメンバーのアンガーマネジメント物語~奈田編~
https://www.angermanagement.co.jp/blog/71855

無条件の肯定

もうかなり前のことになります。仕事上のことで誰にも話せない悶々とした思い、自分をとても惨めだと感じるような思いを抱えて過ごしていたことがありました。

ある日、特にひどく気落ちするようなできごとがありました。悟られないように笑顔を作りながらも、気持ちはどうすることもできないほど落ち込んでいました。

「つらいと思います。」 同僚でした。思いがけない言葉に思いが溢れるばかりで、私は何も言えませんでした。

同僚は、ただ私のつらい気持ちに寄り添う言葉を、静かに、優しく、時間が許す限り、伝え続けてくれました。

あの後、なんとか自分を立て直し、仕事を続けることができたのは、あの同僚の支えがあったからです。無条件の肯定でした。あの支えがなかったら、私は暗い世界の中で孤独を抱えながら必死に笑顔を浮かべ、震える足で立ちすくんでいたのではないかと思います。

評価しない。励まさない。アドバイスをしない。ただ、無条件に肯定する。とても難しいことです。

私がカウンセリングの力を信じられるのは、私自身が人に救われた経験を持っているからなのかもしれません。


あなたの優しさ、私は決して忘れません。あの時は本当にありがとうございました。

母の日が悲しい

誕生日もクリスマスも特に何かしてほしいと思ったことはないのに、母の日だけは、なぜか夫から「ありがとう」の一言がほしいと思ってしまいます。とても。とても。

息子はスルーでも気になりません。でも、夫のスルーに傷ついてしまう。これまでお願いしたり、ちょっと拗ねてみたり、素直に気持ちを伝えてみたりもしましたが、やはりスルー。たかが母の日なのに。恥ずかしいのですが、毎年毎年、これで泣いてしまっています。

父の日は、息子と一緒に夫に感謝の言葉を伝えて、好物の料理やケーキを用意しています。でも、それも夫にしてみたらあまり意味のないことだったのかもしれません。

どうして私はこんなにも「ありがとう」と言ってほしいのか…。母親として、妻として自信がないから、自分を支えてくれる言葉が欲しいのか。これも一つの承認欲求なのか。私を落ち込ませているのは一体、何なのだろうか。

イライラしない人の思考癖

今朝、息子を駅まで送っていった時のことです。

思っていた以上に道が混んでいて、思わず「間に合うかしら。間に合わないかもしれないわね。次の電車は何分?」と息子に尋ねると、ぼそっと「知らない」と。まるで焦りのないその様子についイラッとして「知らないって…(ムッ)」と言うと、「今、取れる行動なんて他にないでしょ」と。

確かに。ふっ、と肩の力が抜けました。

息子の考え方は、アンガーマネジメントでいう「行動のコントロール」です。変えられること、変えられないことの線引きをし、変えられないことについては怒りを手放し、その時に取れるベストの行動を選択する。

ややあって息子は、「歩くほうが速いな。降りるわ。ありがとう」そう言って車を降り、駅に向かって歩いて行きました。

息子にアンガーマネジメントを教えたことはありません。幼い頃から自然とアンガーマネジメント的な考え方をしていました。母親である私はこんなにも怒りっぽいのに。

教わらなくても歌が上手、足が速い、勉強ができる、そういう人がいるように、教わらなくてもアンガーマネジメントが自然にできる人もいるのでしょう。一方で、教わらなければ、ついイライラするような考え方をしてしまう人もいます。私のように。

幸いなことに、怒りのコントロールは、メソッドがあり、継続することで上達できます。こんな私でさえ、以前に比べたら考えられないほどイライラしなくなったのです。(今回の件も以前なら「間に合わなかった時のために次の電車の時間を調べておくものでしょ!何を考えているの!」と怒っていたでしょう。)

怒りのコントロールは、それが自然にできない人は努力が必要です。だから、ちょっと大変。でも、努力は必ず実ります。

始業時間ちょうどに会社に到着してはいけないの?

あるSNS(若い人が多そうなSNS)でこんな投稿を見かけました。

「入社2日目。遅刻してないのに。ピッタリくらいだったのに。怒られた」

これに対するレスで圧倒的に多かったのが
「さすがにピッタリは」
「うん、それは怒られる」
「逆になんでそれで怒られないと思ったのか」

時間についての意見では
「社会人は5~10分前行動が当たり前」
「バイトだけど10分前」
「私は30分前」
「せめて5分前」
「到着と始業は違う」
「9時に仕事に取りかかると考えよう」

怒ることへの意見としては
「遅刻ではないので怒られる理由にはならない」
「早めが良いと思うが、それを強要するのは間違っている」

こんな意見もありました
「ピッタリより早く来たほうが良いって意見が多くて驚き」
「就業規則にはないことは空気を読めってこと?」
「帰るのも10分前で良いのかしら?」

様々な意見があっておもしろかった。つい読み耽ってしまいました。

投稿をした方は「行くだけで疲れる」と結んでいました。そういえば私も、学生から社会人になった当初はしんどさを感じて、夜、友だちと電話でたくさん話したことを思い出しました。

投稿した方、これからどうするかしら。自然と早めの行動に変わり、やがてそれを当たり前と思うようになるのかな。それとも早めの行動を取りながらも違和感を抱き続けていくのか…。

数年後、この方が先輩になった時、ピッタリに来る新入社員にどう接するかは周りの人(先輩や上司)の接し方次第…かもしれないなあと思う5月2日の朝でした。

変えられないものを受け入れる勇気

先月、登壇させていただいたアサーション研修で思いがけないことが起こりました。

研修終了後、ご担当の方が閉会のご挨拶をされた際に、ご自身のことについて、少し深いお話をされたのです。

この研修は今年で4年目。ご担当の方とのお付き合いも4年になります。いつも丁寧にフォローしてくださる全てに行き届いたこの方にも、迷ったり悩んだりされることもあるのかと大変驚きました。そして、アサーションとアンガーマネジメントが役に立っているとお話をされた後(とても嬉しかった)ご自身が心の拠り所にされているという「ニーバーの祈り」を読み上げてくださいました。

私に与えてください。

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を。

変えることのできないものについて、
それを受け入れるだけの冷静さを。

そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを識別する知恵を。

※ラインホルド・ニーバー(1892–1971年):アメリカの神学者

 

確かに、私たちは、変えられないものを変えようと必死になることがあります。特に身近な人には、高い理想を求めるあまり(あるいは期待するあまり)変えられない事実から目を背けてしまうことさえあります。頭ではわかっていても、そう思いたくない。それが、葛藤や自己矛盾を生むのです。

実はこの日、私も今まで誰にも打ち明けたことのなかった話をしました。まったく意図していなかったことで気恥ずかしさが残りましたが、講師も受講者もご担当の方も、この会場にいたすべての人がお互いに一人の人間として向き合えたことは得難い経験だったと思います。研修終了後は、ご担当の方といつものように事務的なお話をしながらも心の中でふんわりと柔らかな火が灯ったような気持ちでした。

お帰りになる受講者様の後ろ姿をお見送りしながら、それぞれの職場でアサーションされている様子、相手を気遣いながら自己主張もされている姿を想像しました。どうか、それが現実のものになりますように。

怒って良い。問題はその表現方法。

第94回アカデミー賞授賞式で、ウィル・スミスさんが、プレゼンターのクリス・ロックさんを平手打ちしました。

平手打ちをした理由は、妻の病気による外見を揶揄されたこと、と聞いています。であるなら、いきなり殴るのではなく、断固とした口調、一歩も引かない姿勢で、「妻はとても傷ついている。妻の病気や外見をジョークにしないでほしい」と抗議すれば良かったのではないかと思います。

今、話題の中心は「殴ったことの是非」になっています。ウィル・スミスさんが強く訴えたかったはずの「病気や外見をジョークにして良いのか」については、アメリカ国内ではほとんど話題になっていません。この状況は、ウィル・スミスさんの本意ではなかったはずです。

ふと、北京五輪スノーボードで理不尽な採点をされながら、その怒りを金メダルにつながる素晴らしい演技に昇華させた平野歩選手を思い出しました。

怒りは感じても良いのです。怒ることは悪いことではありません。感じた強い怒りをどう表現するか。問題は、表現方法なのです。

悲しい気持ちの時は

ウクライナ情勢に胸が痛みます。
憤りがある時はまだ良かった。今は無力感に苛まれ、ただ悲しい。
募金も署名もしたけれど何も変わらない。他に何ができるのだろう。

最近は気づくと気持ちが塞ぎ、ふと泣いてしまうこともあります。
同じような方、いらっしゃるのではないでしょうか。

ウクライナの方たちのためにできることを探しながら、
自分の心も守らなくてはいけませんね。

空を見たり、花を植えたり。
そういえば母は、悲しいことがあると花を植えていました。
悲しみが笑顔になるように。

仕事に集中して、身体を動かして。
家事も元気にこなして、日常をつつがなく過ごす。

つらかったらテレビをつけなくても良いと思います。
自分の心が負けてしまいそうだったら、逃げて良いと思います。
現実から目を逸らすことに罪悪感を覚えなくても良いと思います。