懐かしい声

仕事で落ち込んでいた夜、夢の中で、私を励ます懐かしい声が聞こえてきました。

声の主は入院中の父。今はもう意志の疎通もできない父が、夢の中では力強く私を励ましてくれました。

自信を持って、自分らしくがんばろう。そう思えました。

お父さん、ありがとう。

少女時代の思い出

10月から産業カウンセラー養成講座を受講しています。初日、作文の宿題が出ました。テーマは「もっとも心に残っている少年・少女時代の思い出」です。


 小学4年生で転居するまで、帰宅すると家にはいつも両親がいました。自営をしていたからです。転居後は、父方の祖父母と同居しました。父の妹たちが結婚して家を出たため、長男である父が、私たちと共に実家に戻ることにしたのです。

 ずっと後になって、これは父の独断であったことが分かりました。母にも、祖父母にも相談はなかったそうです。父はひどく真面目な性格なので、おそらく「長男は両親の面倒を見るべき」という固定観念があり、父はそれをなんとしても守らなければと、ある意味、必死の思いがあったのでしょう。

 転居、転校について、両親から説明を受けた記憶はありません。少しずつ家具が運ばれていく様子、両親の会話の端々から、自分はおじいちゃん、おばあちゃんの家に引っ越すのだな、と感じていました。

 転居後、私の心の中は、まるで瓦礫と砂埃にまみれた廃墟でした。転居前は、帰宅すると両親がいたのです。学校での出来事を話したり、一緒に宿題をしたり。心はいつも青く光る海のように豊かでした。それが、転居後は、家に帰ると、それまであまり接する機会のなかった祖父母がいる。両親は自営をやめ、それぞれ会社勤めをするようになっていました。朝は早く、夜も遅い。両親との会話は激減していました。まだ幼かった妹は環境の変化にすぐ慣れましたが、私にはどうしても、そこが自分の家のようには感じられませんでした。何度も何度も、母に「前の家に戻りたい。」と言おうと思いました。でも、言えなかった。活発で、積極的で、言いたいことは何でも言える私なのに。泣くほど、思い詰めていたのに。なぜ言わなかったのか、今でも理由は分かりません。

 しかし、やがて、私は適応していきました。祖父母がいる家にも慣れていきました。外で働くようになった母は以前よりもずっと明るくなり、そんな母を父はいつも愛おしそうに見ていました。そして、それが、いつしか私にとっての日常になりました。

 過去を振り返った時、あれはつらかった、あれは楽しかった、などと評価することがあります。私の過去の出来事は、ほぼすべてラベリングできます。しかし、この転居・転校だけは、自分の中でまだ落とし込めていません。ただ、「まだ何もわからない10歳の子どもだったのに。私はかわいそうだったな。」そう思うだけです。

 少女時代の思い出として、もっとも心に残っていることは、唯一、私の中で感情の整理ができていない出来事です。(1,000文字)


この講座では、まず自己理解を深めることから始めます。講師からは「数あるエピソードの中からなぜそれを選んだか、なんです。」と説明がありました。

私は、なぜこのエピソードを選んだのか。

実は、この話を母にしたことがあります。「本当は東京に帰りたかった。何度も何度も『おかあさん、東京に帰りたい』と言おうと、父母の部屋のドアの前まで行った。」と打ち明けました。母は、「あなたたちを犠牲にしてしまった」と言いました。母は、自分も東京に戻りたいと、毎晩、泣いていたそうです。しかし、母の中にも「親の面倒は長男が見るべき」という価値観があり、それを拒絶するという考えすら思い浮かばなかったそうです。ただ、我慢するしかない、受け入れるしかしかないと。

父も、今思えば、自営から会社員になり、辛いこともあったと思います。実際、一時期、ひどい目にあったと聞きました。それでも父は耐えた。父もまた、古い価値観で自分自身を縛っていたのでしょう。

「べき」を優先させ、望まぬ決断をした父。それを黙って受け入れた母。適応するしかなかった私や妹。それでも、1年後には、家族で笑い合っていました。

今なら、もっと別の選択肢があったでしょう。母も、私も、妹も、言いたいことを言えたでしょう。でも、昭和40年代の我が家の価値観では、父の言うことに従うしかなかったのです。

聴いてもらう

先日、ある講座を受講しました。その最初のアイスブレイクの時間のことです。

参加者が2名ペアになって、提示されたテーマについて、3分間、話すというものでしたが、私に異変が起きたのは「自分の名前は好きですか?」というテーマの時でした。話し終わる前に、涙が溢れて止まらなくなってしまったのです。

ちょうど3日前が母の命日でした。亡くなって1年です。父は入院中で今は意志の疎通はできません。

私の名前に込められた父と母の思い。それを話してくれた時の父や母の顔や声。もう母に会えないこと。父と言葉を交わせないこと。感謝と後悔と悲しさと寂しさとで、涙が止まらなくなってしまったのです。

その間、ペアになった方は静かに見守ってくださり、私の涙が落ち着いたところで、ご自身も1年前にご家族を亡くされたことを話してくださいました。「肉親を失うのはつらいことです。」と静かにおっしゃってくださった言葉が、私の心にすっと入ってきました。また涙が溢れました。

帰宅して、数時間が経過して気づきました。
私は、誰かに聞いてほしかったのです。寂しい、という気持ちを。

確かに、少し無理をしていました。一周忌の準備も、お墓参りも、すべて一人でやってしまっていました。実際、たいした作業量ではなかったのです。どうということはないと思っていました。その準備の間、その時々の寂しさや悲しさを誰かと分かち合っていたら、もしかすると涙が止まらなくなることはなかったかもしれません。

研修で、私はいつも「無理をしないで。自分の気持ちに思いを馳せてくださいね。」とお話をしていますが、自分自身が気づかないうちに無理をしていたようです。

今日は、自分にも言います。

無理をしないで。気持ちを溜め込まないで、つらい時、悲しい時、寂しい時は、誰かに話を聴いてもらってね。あなたが少しでも笑顔でいられるように。

天にお返しするもの

久しぶりの抜けるような青空。

母を亡くしてから、母に会いたい、あちらに行ったら会えるのかな、と考えることもありましたが…。

青空を見ていたら、「お預かりしている命なのだから、きちんとまっとうして、お返ししなくてはいけないな…」と思い始めました。

誰から預かり、誰に返すのか…。
空を見ている時にそう感じたので、やはり、空、天なのかもしれません。

ここまで自分なりに一生懸命に生きてきたので、いつ寿命が来ても悔いはないと思っていたのですが、そうじゃないな、もっと命を丁寧に扱わなくてはいけないなとも思いました。

残りの人生、運が良ければあと20年は元気でいられるでしょうか。丁寧に生きていきたいと思います。

サイトを分けました

サイトを内容に応じて2つに分割しました。
なんと13年ぶりのリニューアルです。

アンガーマネジメント専用サイト
https://misystem.jp/

Webサイト制作などITサービス専用サイト
https://it.misystem.jp/

制作方法は、今回もHTML5+CSS3をTeraPad に手打ちです。
画像加工は、なんとFireworks CS4 on Win10 。(普通に動きます。)

アンガーマネジメントもWebサイト制作も、受講者様、お客様に笑顔になっていただきたい。その思いは同じです。みんなが幸せになるお仕事をしていきたい。そう思っています。

これからも、エム・アイ・システムをどうぞよろしくお願いいたします。

見送った日に

胸騒ぎがして、母の病院に向かった日。日曜日の午後4時頃。

前を走る車のナンバーが、母の誕生日でした。
病院の近くまで、ずっと前を走っていました。
早く母の元へ。
そう思っているのに、不思議と追い越そうとは思いませんでした。

「みえこ、来たよ」と言うと、微かに頷いて、それきりでした。
病院に着いて数時間後、母を見送りました。

色々なことを終えて、帰途に着く時。
私の前を走る車のナンバーは、やはり母の誕生日でした。
その車は、ほどなくして左折してしまったのですが、
すぐにまた、母の誕生日のナンバーの車が、私の前に入りました。
悲しいはずなのに、車中、ずっと暖かいものに包まれているような
とても不思議な気持ちでした。

その夜、私は、母の写真をデータ化し、母の写真集を作っていました。
もうすぐ午前3時になろうかという頃、突然、マウスの動きが悪くなりました。
別のマウスに変えてみてもダメ。おかしいな。そう思いましたが、
なんとなく母が「もういい加減にしなさい!身体を壊すから!寝なさい!」
と怒っているような気がして、パソコンの電源を落としてベッドに入りました。
マウスの動きが悪かったのはその時だけで、それ以降は一度もありません。

そして、翌朝。
リビングのテレビが突然ついて、音楽が大音量で流れてきました。

「別れることはつらいけど」
「仕方がないんだ君のため」

急いで、スイッチをオフにしました。
頭の中で、続きを歌っていました。

「別れに星影のワルツを歌おう」
「冷たい心じゃないんだよ」
「冷たい心じゃないんだよ」

あ、と思いました。
「冷たい心じゃない」は、私と母の間にあるキーワードの1つなのです。

母は、ずっと私のそばにいてくれていたのではないかしら。
そんなふうに感じました。

車のナンバーも、マウスも、テレビも、その時限りで、以降はありません。
素敵な偶然。その素敵な偶然に、私の心は、とても、とても癒されました。

悲しくて悲しくてたまらないけれど、
それはとても暖かく、柔らかい悲しみなのです。

悲しみを暖かいものに変えてくれた母。
きっとこれは、母が、私にくれた最後の贈り物。
この贈り物がなかったら、私はきっと
母を助けられなかった後悔と罪悪感に苛まれていたでしょう。

いつかきっと、また母に会える。
だからそれまで、一生懸命、生きる。母のように。

家族には難しい「共感」

夫が先日から、プライベート用PCがオンライン中に固まると言うので
私の経験談を伝えた上で、「だから、Core i3 以上のPCを買えばいいよ」
と言っているのですが、なんとか自力でスペックを上げたいようで。

しかし、実は私も、オンライン打ち合わせ程度なら
プライベート用PCを使いたいというどうでも良いこだわりを持ち、
メモリを4GBから8GBに増設するなどあれこれやってはみたものの、
やはり最後はCPUのスペックなのかなというところに行きつき、
今はビジネス用のメインPCを使用しています。

いえ、それで良いんです。何の問題もないのですが。

夫の、ビジネス用をオンラインで使いたくない気持ちもわかるのです。
画面を共有して、うっかりデスクトップの画面を見せちゃう、
なんていうことは避けたいですし。気持ちはわかるのです。

だから、「買いなよ。Core i5のPC、買っちゃえ」と言うのですが
何やらまだ話し続けている。いかに性能が低くて困ったかを。

いや、だから、もう買えばいいじゃん、と言いかけて思い出しました。

彼が今、求めているのは「共感」
でも、私が提示しているのは「解決策」

すぐに忘れてしまうんです。昔からそうです。子どもの頃からです。
「~すればいいじゃない」「早く~しちゃえば」とよく言っていました。

少し大人になってからは、友人たちとコイバナが増えるわけですが、
「付き合っている人いるんですか?って聞いてあげようか?」
なんて言ってしまったりして。我ながら、無粋ヤツでした。

私も、共感してほしいだけのことがたくさんあります。
聞いてほしい。そんな気持ちになることはあります。
ところが、特に相手が家族だと、つい忘れてしまう。

いいから、さっさとPCを買え!!

という言葉を飲み込み、
「あー、画面がねー、固まっちゃう。あれは滑稽よねえ」
「音声、途切れちゃったかあ。あれはイライラするよねえ」
と言ってみましたが。

やはり最後は、「だから、買いなって」と言ってしまっていました。
愛する夫の困った顔を見ていると、つい何とかしてあげたくなってしまう。
夫にはいつも嬉しそうな、楽しそうな顔をしていてほしいのだと思います。
これもある意味、自分勝手ですよね。

彼はきっと自力でPCのスペックを上げるでしょう。
だから、解決策の提示は必要ないのです。

今、夫が求めているのは共感。
・・わかっちゃいけるけど、家族への共感は難しいなあ。でした。

ブログをWordPressに移行

2つのブログを統合しました。
「ブログ日和-身辺雑記-」と「幸せのアンガーマネジメント」です。

タイトルは、「ブログ日和-身辺雑記-」を残しました。

この他、「ブログ日和-PCに関すること-」と「旧ブログ日和」があります。
時間を見て「旧ブログ日和」もこちらにインポートしたいと思います。
PCに関するブログはどうしようか・・ちょっと考え中です。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

4年かかりました

いくつかのブログを同時進行で運用しています。
その中の1つが「ブログ日和-身辺雑記-」です。

そのブログに、実はしばらく投稿できずにいました。
最後の日付は、2016年4月5日。

実は、この年の4月末で、
講師として14年勤務したパソコンスクールを辞めたのです。
そして、アンガーマネジメント研修の登壇と心理学の学習へと進みました。

自分の決断です。
でも、つらかった。本当につらかった。
皮膚を剥がされるような痛みでした。

パソコンスクールの同僚、校長先生、社長との別れ。
専門用語をわかりやすく伝えたいと、講座の組み立てを工夫した日々。
やりがい、達成感、挫折してまた立ち直って。
たくさん笑って、思いっきり落ち込んで、また笑って。
自分らしい自分でいられた最高の日々でした。

でも、その分、家庭のことは後回しでした。
息子が宿題をしている時、私は受講生のためにプリントを作成していたのです。真心こめたプリント。でも、私の真心を本当に必要としていたのは息子でした。

スクールが、資格取得支援から就職支援へと重点を移し始めた時、
潮時だと思いました。

Web制作、パソコンの講座、アンガーマネジメント研修、心理学の勉強。
やれば全てできるでしょうが、きっと家庭は荒むでしょう。
何かを手放さなければ、やがてすべてを失うだろうと思いました。

講座の最終日。生徒さんたちから花束をいただきました。
「先生、心理学、がんばってね」の言葉と共に。

その日から、ブログを書けなくなりました。
自分の感情を文字に起こせなくなってしまったのです。
(アンガーマネジメント専用のブログのみ、なんとか書いていました。)

今日、久しぶりに「ブログ日和-身辺雑記-」に投稿しました。
1,568日ぶりです。

パソコンスクールを辞めたことも、こうしてようやく書くことができました。
小さくて、無名だけれど、ホスピタリティに溢れた本当に良い職場でした。
その職場は、埼玉県上尾市のemoパソコンスクールです。

2020年を迎えて

2020年を迎えました。今年は東京五輪があります。

私は、前回の東京オリンピック開催年1964年生まれです。母は産院のベッドで眠る生後間もない私と一緒に、東京オリンピック開会式の様子をテレビで見たそうです。自分が母親になったという思いも重なり、堂々と歩く日本選手団の姿に胸がいっぱいになったと話していました。

さて、昨年は、アンガーマネジメント研修登壇のご縁をたくさんいただきました。身に余る光栄でした。ご依頼いただきましたみなさま、誠にありがとうございました。また、アンガーマネジメント入門講座にいらしてくださったみなさま、足をお運びくださり、本当にありがとうございました。アンガーマネジメントが少しでもみなさまのお役に立てますことを心より願っております。

私は今年も、アンガーマネジメントをお伝えしてまいります。3月からは、
・アンガーマネジメント叱り方入門講座(90分・3,300円)
・アンガーマネジメントパワーハラスメント防止入門講座(90分・3,300円)

も開講いたします。ご興味がありましたら、ぜひご受講にいらしてください。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。