助手席の窓から

免許を取得したばかりの息子が運転する車に乗っている時でした。
助手席の窓から、こんな雲が見えました。鳳凰のようだな、と思いました。

鳳凰雲

あとで、「雲 鳳凰」で検索したら、同じような雲がたくさん出てきました。
何やら運気上昇のサインと書かれたサイトもありましたが、今のところ特に変わったことはありません。
でも、その「変わらない」が、私には何より良いことのように感じています。

平凡に生きるというのは、意外と難しいものだよ。

父がずっと昔に、そう言っていたのを思い出しました。
もうすぐ還暦という今、平凡であることの難しさとありがたみをしみじみと感じています。

私も夫も、年齢相応に暮らしています。
息子もこの春から大学生になり、念願の免許を取得しました。
そして今日、私は息子が運転する車に乗っている。
赤ちゃんだった息子をチャイルドシートに乗せていた日々が、懐かしく思い出されます。
人生は、本当に一瞬ですね。

平凡を全うしたい。
残りの日々を穏やかに日々を生きていきたい。

窓の外に大きく羽を広げた鳳凰を見ながら、ふとそんなことを思いました。

思わずあおりそうになった。しかし…

数年前に入門講座を受講された方から、嬉しいメールをいただきました。
ご本人の承諾を得て、短くまとめて掲載いたします。


運転中、かなり際どい距離で割り込まれ、ついカッとなった。
思わず車間を詰めて、あおりそうになった。

以前なら、
「危ないじゃないか」
「事故にでもなったらどう責任を取るつもりなんだ」
「自分さえ良ければそれで良いのか」
と相手を責める言葉ばかりが頭に浮かび、さらに怒りが強くなっていただろう。

しかし今回は、自分は今、危険を感じて防衛感情が働いたのだろうと、
怒りの原因を冷静に考えることができた。

仕返しを考えれば、注意力が散漫になり、事故のリスクが高まる。
だが、前を走る車を見ると、やはり許せない気持ち、怒りが湧いてくる。

ならば、と次の信号で左折した。
怒りの対象が目の前からいなくなったので、気持ちが落ち着いた。

アンガーマネジメントを知っていたおかげで、怒りに適切に対処できた。
無事に、穏やかな気持ちで目的地に着くことができ、とても満足した。


正義感が怒りの引き金になりやすい傾向をお持ちの方でした。
今回のことは、マナーに関わることでしたので特に怒りが強かったのではと思います。
しかし、適切に対処することができ、そんなご自分にも満足されていらしたことが、
私はとても嬉しく思いました。

アンガーマネジメントのテクニックを忘れずに実践してくださっていたのですね。
だから怒りをアンガーマネジメント的に考える習慣が身に着いたのだと思います。
素晴らしい、と心から思いました。

JAMA関東支部スタッフを卒業しました

この3月、日本アンガーマネジメント協会の関東支部スタッフを卒業しました。

6年間、毎月の勉強会や練習会、関東支部総会、JAMAカンファレンスなどの運営スタッフとして、とても楽しく活動させていただきました。

当然のことながら、支部活動は利益を出すものでもなければ、効率を重視するのでも、高いクオリティを求めるのでもありません。できるだけ多くの人が関わって、楽しむ。というところが、文化祭とか学園祭に近いかなあと思いながら、大変楽しく活動しておりました。

楽しく活動できた要因は色々ありますが、もっとも大きいのは、やはりみんながアンガーマネジメントを知っている、実践している、という点でしょうか。

ただし、みんなが怒りをコントロールできているから円満だった、ということではありません。意見の相違はしょっちゅう。納得できないことも多々ありましたし、腹を立てた事もありました。でも、それを抑える、我慢する、まして相手にぶつけるのではなく、きっと相手は受け止めてくれると信じて、自分の気持ちを伝え切ることができました。気持ちを伝え合った後は、また以前のように共通のゴールに向かって協働することもできました。

価値観が違って当然。
怒りがあって当たり前。

それが前提にあるから、怒りを感じる自分を受け入れ、安心してそれを表現することができたのです。

お互いに、自分の価値観、許せるポイントと許せないポイントの境界線を見せ合い、すり合わせる。妥協点を見つける努力をする。

私たちアンガーマネジメントファシリテーターは、「怒らされた」ではなく「怒る」、「言えない」ではなく「言わない」を選択することができます。だから、怒りを持続させることなく、すっきりした気持ちで意見をぶつけ合った相手と、また対等に意見を出し合うことができるのです。

最近、心理的安全、という言葉を耳にしますが、「みんながアンガーマネジメントを知っている」という環境は、私にとってまさに心理的に安全でいられる場所でした。

大人が真剣に楽しむ文化祭のようだった支部スタッフとしての活動。続けても良かったのですが、新しい方にこの活動を体験していただけるように卒業することにしました。一人でも多くの方が、支部スタッフを楽しんでくれると良いなあ。(今後は、参加者として楽しませていただきます!!)

6秒で怒りは消えない

6秒で怒りは消えません。

6秒ルールは、6秒待て、です。

待てば、理性が働くからです。

6秒ルールは、「あ、やっちゃった」を防ぐための対処法なのです。

6秒待てば、

A「ここは一言、バシッと言っておく」

B「ここは見逃す」

どちらが正しい選択か、判断することができます。

6秒ルールは、最悪の事態を防ぐためのとりあえずの対処法です。

ぜひ、お心に留めていただけると嬉しいです!

アンガーマネジメントに出会うマエとアト

日本アンガーマネジメント協会が、冊子「アンガーマネジメント ビフォー・アフター」を公開しました。

掲載されているのは8名のAMFT(アンガーマネジメントファシリテーター/アンガーマネジメントの指導者)によるアンガーマネジメントに出会う前と後の変化です。私も、お声がけいただき、掲載していただきました。

◎冊子は、以下より入手できます。
日本アンガーマネジメント協会 資料請求
https://www.angermanagement.co.jp/document-request

とても読み応えがあります。「怒り」の豊かさを感じる8篇の物語です。

◎冊子から一部を抜き出しました
アンガーマネジメントに出会うマエとアト(南 美詠子)

この原稿を作成するにあたり、ゆいさん(奈田 由さん)には大変お世話になりました。ゆいさんのビフォー・アフターはこちらに掲載されています。ぜひご覧ください。

手帳チームメンバーのアンガーマネジメント物語~奈田編~
https://www.angermanagement.co.jp/blog/71855

無条件の肯定

まだアンガーマネジメントに出会う前のこと。
アドラーも、アサーションも、心理学も、心のことは何も知らなかった頃のことです。

仕事のことで、とても惨めだと感じながら過ごしていた時期がありました。

ある日、特にひどく気落ちするようなできごとがありました。
他の誰でもない自分自身をごまかすために、その日は特に笑顔で過ごしていました。

…つらいと思います。

優しい静かな声でした。
私の隣にいた同僚でした。

思いがけない言葉に思いが溢れるばかりで、私は何も言えませんでした。
同僚は、ただ私のつらい気持ちに寄り添う言葉を、静かに、優しく、伝え続けてくれました。

なんでもない時に、ふと思い出します。
あの日の彼女の声に、私は今も支えられています。

そもそもの考え方が

今朝、息子を駅まで送っていった時のことです。

思っていた以上に道が混んでいて、思わず「間に合うかしら。間に合わないかもしれないわね。次の電車は何分?」と息子に尋ねると、ぼそっと「知らない」と。まるで焦りのないその様子についイラッとして「知らないって…(ムッ)」と言うと、「知ってどうするの。駅に向かう以外、今、取れる行動なんて他にないでしょ」と。

確かに。ふっ、と肩の力が抜けました。ややあって、「歩くほうが速いな。降りるわ。ありがとう」そう言って車を降り、駅に向かって歩いて行きました。後で息子から予定通りの電車に乗れたとLINEがありました。

渋滞にハマってイライラ。という事例をアンガーマネジメント研修の中で使うことがあります。息子の考え方は、まさにアンガーマネジメントの観点から見て、長期的に健康的でした。

一方、私は、我が子が遅刻するかもしれないという不安と焦りからアンガーマネジメントの実践を忘れてしまいました。私は、身内のことになるとつい冷静ではいられなくなる傾向があるのです。渋滞を変えることはできないのに、なんとかしよう、なんとかしたい、しなければ、という力ずくで物事を思い通りにしたいという考え方がイライラを生むのですね。

息子のように、あまり怒らないタイプの人はベースとなる考え方がすでにアンガーマネジメントなのだな、と思いました。一方、私は考え方がどうしても怒る方、怒る方へと向かってしまいます。だから、私はアンガーマネジメントを意識する必要があるのですよね。

怒りを攻略できずご苦労されているみなさま、安心してください、私もがんばっています。(なんて。)

変えられないものを受け入れる勇気

先月、登壇させていただいたアサーション研修で思いがけないことが起こりました。

研修終了後、ご担当の方が閉会のご挨拶をされた際に、ご自身のことについて、少し深いお話をされたのです。

この研修は今年で4年目。ご担当の方とのお付き合いも4年になります。いつも丁寧にフォローしてくださる全てに行き届いたこの方にも、迷ったり悩んだりされることもあるのかと大変驚きました。そして、アサーションとアンガーマネジメントが役に立っているとお話をされた後(とても嬉しかった)ご自身が心の拠り所にされているという「ニーバーの祈り」を読み上げてくださいました。

私に与えてください。

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を。

変えることのできないものについて、
それを受け入れるだけの冷静さを。

そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを識別する知恵を。

※ラインホルド・ニーバー(1892–1971年):アメリカの神学者

 

確かに、私たちは、変えられないものを変えようと必死になることがあります。特に身近な人には、高い理想を求めるあまり(あるいは期待するあまり)変えられない事実から目を背けてしまうことさえあります。頭ではわかっていても、そう思いたくない。それが、葛藤や自己矛盾を生むのです。

実はこの日、私も今まで誰にも打ち明けたことのなかった話をしました。まったく意図していなかったことで気恥ずかしさが残りましたが、講師も受講者もご担当の方も、この会場にいたすべての人がお互いに一人の人間として向き合えたことは得難い経験だったと思います。研修終了後は、ご担当の方といつものように事務的なお話をしながらも心の中でふんわりと柔らかな火が灯ったような気持ちでした。

お帰りになる受講者様の後ろ姿をお見送りしながら、それぞれの職場でアサーションされている様子、相手を気遣いながら自己主張もされている姿を想像しました。どうか、それが現実のものになりますように。

怒って良い。問題はその表現方法。

第94回アカデミー賞授賞式で、ウィル・スミスさんが、プレゼンターのクリス・ロックさんを平手打ちしました。

平手打ちをした理由は、妻の病気による外見を揶揄されたこと、と聞いています。であるなら、いきなり殴るのではなく、断固とした口調、一歩も引かない姿勢で、「妻はとても傷ついている。妻の病気や外見をジョークにしないでほしい」と抗議すれば良かったのではないかと思います。

今、話題の中心は「殴ったことの是非」になっています。ウィル・スミスさんが強く訴えたかったはずの「病気や外見をジョークにして良いのか」については、アメリカ国内ではほとんど話題になっていません。この状況は、ウィル・スミスさんの本意ではなかったはずです。

ふと、北京五輪スノーボードで理不尽な採点をされながら、その怒りを金メダルにつながる素晴らしい演技に昇華させた平野歩選手を思い出しました。

怒りは感じても良いのです。怒ることは悪いことではありません。感じた強い怒りをどう表現するか。問題は、表現方法なのです。

悲しい気持ちの時は

ウクライナ情勢に胸が痛みます。
憤りがある時はまだ良かった。今は無力感に苛まれ、ただ悲しい。
募金も署名もしたけれど何も変わらない。他に何ができるのだろう。

最近は気づくと気持ちが塞ぎ、ふと泣いてしまうこともあります。
同じような方、いらっしゃるのではないでしょうか。

ウクライナの方たちのためにできることを探しながら、
自分の心も守らなくてはいけませんね。

空を見たり、花を植えたり。
そういえば母は、悲しいことがあると花を植えていました。
悲しみが笑顔になるように。

仕事に集中して、身体を動かして。
家事も元気にこなして、日常をつつがなく過ごす。

つらかったらテレビをつけなくても良いと思います。
自分の心が負けてしまいそうだったら、逃げて良いと思います。
現実から目を逸らすことに罪悪感を覚えなくても良いと思います。